武田信玄・勝頼 後継者問題についておもう

先日 経営者仲間とセントレジスホテルへビアガーデンに行ってきました。
お酒と景色を楽しみながら、話題に出たのが後継者問題。私は20年以上先の話になりそうですが・・

帰りにふっと 戦国時代の武田家の滅亡を思い出しました。
今年のNHK大河ドラマ 真田丸では、武田信玄の息子・勝頼のあっけない最期を 第一話で
描いてましたね。

滅亡の理由として よく言われているのが、勝頼の武勇に偏った能力、そしてそれ以上に
先代からの重臣や一門衆との確執です。
勝頼は母が武田氏に滅ぼされ従属関係にある諏訪氏の姫で、勝頼自身、諏訪家を継いでいたので、
武田家を継ぐ正統性に欠ける と家臣たちに思われていたのでしょう。

ただ武田信玄が嫡男の義信を謀反の疑いで廃嫡したのが1565年、死亡したのが1567年。
この時点で武田家を継げるのは勝頼しかいませんでした。
そして1572年、武田信玄は信長を討つため西上作戦を開始し、三方が原の戦いで勝利をおさめ、
翌1573年病死します。

後継者と目されてから8年間。その間に武田信玄による後継者教育や一門衆、重臣達との反目が
おこらないようには、できなかったのでしょうか。

自分の代だけで次世代のことを考えれてなかったからか
一説にあるように 信玄自身もそこまで強い立場ではなかったからか・・
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昔 師事する I先生にこの話をした時 「信玄は子供を尊敬してなかったんじゃないか」 と言われました。
I先生がまだ若い頃、 夜 妻が寝ている幼子の枕元を跨いで横切ろうとするのを
「わが子に対して 礼を失する」
と 妻をたしなめると 「部屋が狭いから仕方ないでしょ」と 言い返されたと笑っておられました。

子供が親を尊敬し、親が子供を尊敬する。

もうじき わが子が生まれますが、自然にそのような心境になれればと思います。

また会社も同じで 経営者とスタッフたち 互いが尊敬しあい 信頼しあう。
そんな関係が当たり前の会社が増えれば、 楽しみながら良いモノが生まれる活気ある社会になるのかと
思います。

武田信玄は10代の時 父を追い出し、前述のように1565年、長男と傅役である飯富虎昌ら重臣に謀反を
おこされ粛清します。
「人は城 人は石垣 人は堀 ・・」が信条でしたが、親子間の良好な関係性を築くことは難しかったのかも
しれません。

8年もあったと書きましたが 信玄からすれば 自分がそんなに早く死ぬとも思ってなかったかもしれませんし
たった8年という感覚だったかもしれません。
「備えあれば憂いなし」

何に対しても長いスパンで考えるクセ と 早めの準備が大切だと 改めて思いました。

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そう考えると 予期せず暗殺されたにもかかわらず、遺言書を残していたローマのカエサルは
本当にすごい人だと感心します。
その遺言書のおかげで 初代皇帝アウグストゥスが誕生し、パクス・ロマーナの時代が訪れるのですから。
(10年ほど後に読まれると予測し書かれてたので後継者が誰?状態だったそうです)

 

マルキン家具  金谷 弥恕

 

 

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